ケアサポート長岡/ケアサポート長岡 教育センター

代表プロフィール・コラム
































































コラム部屋 JAZZ喫茶(アルコール有)始めました♪



寒さを知ってこそ…太陽の暖かさを知る…なんて事を会社入り口に書きながら長岡の春をしみじみと待ち望んでいます。
パソコン、スマホ等のIT関連を長年サボッてたツケが仕事を億劫にさせる事も日々多いのですが、最近子供らや受講生さんの影響でなんとなくハマり始めている自分もいます・・・。これから臆せずチャレンジ精神で貪欲に自身のコラムという名で近況を発信していきたいと思います。
う〜ん、早いですね・・・そう早かったですね〜。最近、自分の20才頃からの仕事や生活を振り返る事が何か習慣のようです。
考えてみたら、1965年生まれ巳年ですので、もう少しで3回目の成人式!!還暦は「人生を取り急ぎ一周した地点と環(リング)に例えられたように聞きますが、ほんとお陰様でよくここまできたものだと思います。次の一周はやや小さめの環だと思いますが、一周した経験がありますので、どこに危険があり、どこに花でも咲いているのか、てな感じを楽しみながらマイペースで走りだそうとも考えてます。
今一度、自問自答してみますと“仕事は好き”という結論に至りました。我が社の理念の部分にもあります“やりがい、生きがい”の所を、ついに自分にも確実に当てはめなければならない年代となりました。
ご利用者、受講生の方々には改めて感謝しながら今後の自分の方向性を模索していってみようかと思います。
そんな時々に感じた事、気づいた事等、赤裸々に良い加減でつぶやきますので、お時間許す限りでいいので覗いて見ていって下さい♪ (令和6年如月)             
                                        



自己プロフィール詳細・沿革

S.59 新潟県立長岡商業高等学校卒(バスケばかり一生懸命でした)
S.61 長岡市医師会准看護婦養成所卒(昼間は見習いで三島病院看護助手業務)
S.63 茨城県立水戸看護専門学院第一看護学科卒(雪が無くよい所でした。納豆が好きになりました。)
〜H.7  帰省後三島病院看護業務(内科、精神科、デイケア まだ明治生まれの方も結構…)

〜H.12  立川メディカルセンター(整形外科、内科、脳神経内科師長 いろいろな科を経験させてもらい感謝です)

〜H.15(株)エヌ介護サービス(長岡センター長、長岡市介護支援専門員協議会役員 臨床を離れて初めてのケアマネ業務…民間事業所勤務として現在の独立の糧となりました)

〜H.18  高齢者総合ケアセンターこぶし園(小規模多機能施設長 今後の高齢者問題を日常的に学ばせて頂きました。現在の授業の土台になってます)


H18〜 ケアサポート長岡設立(新潟県指定居宅介護支援事業所)※沢山の方々のご自宅を訪問させていただきました。今の理念の根底がつまっています。
   ・新潟医療福祉専門学校非常勤講師(主任介護技術指導者)
   ・長岡こども福祉カレッジ特任講師(こころとからだのしくみ、生活支援技術、医療的ケア等
   ・〃 学校評議員
   ・長岡市介護認定調査員

H26〜 ケアサポート長岡 教育センター開設(新潟県指定登録研修機関)介護職員実務者研修、医療的ケア研修等
   ・長岡崇徳福祉専門学校
   ・悠久山栄養調理専門学校
   ・(株)ニチイ学館
   ・(株)日建学院     非常勤講師 ※学生〜社会人の方のいろいろな話、考え等聞かせて頂ける事が楽しく、励みになっています) 







〜能登半島地震被災者支援を体験して〜


 先般、3/17〜23の約一週間、金沢市いしかわ総合スポーツセンターにて、1.5次避難所の方の支援に行かせてもらいました。自分にとっても初めての災害者支援でしたので、非常に多くのことを考えさせられました。アリーナを大きく2つに分けて比較的自立されているテントブースと、日常的に介護を必要とされるパーテンションブースがあり、看護、介護職員はほとんど後者の業務にあたりました。ボランティア期間も様々なパターンがあり、また派遣元県も様々…富山、新潟、群馬、東京、京都、千葉、大阪、三重、愛知、奈良等々、遠くは九州の方もいたようです。
 3〜4チーム程のフロアチームに分かれ、業務が開始されるのですが、要介護の方が多い為か日常的な排泄、食事、保清の一部介助を要する方が多かったと思われます。イメージとしてはあったのですが避難者の現場は限られた物品、限られた情報が基本であるため、その中で柔軟に動いていかなければなりません。この“柔軟”という所がポイントで、来られる方皆各々自身の職場で働いており、その職場の理念であったりまた各個人の介護観なんかも当然あります。しかしここは高齢者施設ではなく避難所のわけですので、そのあたりの他スタッフとの“バランス能力”は非常に重要と思われました。
 日常の介護現場においては基本的に全てが揃っていますので“自立支援”とか“ADL向上、維持”的な視点で良いかと思うのですが、ここの現場は一時的な特殊な環境ですので基本的には“快適”の提供がベストと思いました。他県から来られた方も「快さを提供する事で身体も精神も少しずつ前向きになる…」とおっしゃられた事は私も同感でした。多数の専門職がいると様々な考え方があると思いますが、このあたりの絶対的目的がどうなのかを介入時より指示できないものか…と感じたところです。
 よく学習カリキュラムの中で「多職種連携」とか「情報の共有」ということを繰り返し学びますが、この度の支援経験で私が一番問題と思ったところでもあります。日替わりでスタッフが来ますのでやむを得ない部分かとは思いますが、要介護者ブースには介護職はじめ看護、リハビリ、ソーシャルワーカー等々多種の専門家が必要です。フロア担当の看護師と幸い対談する事ができたのですがこの「多職種連携」の脆弱さは明らかに感じられてたようです。もちろん看護部も全国から単体(個人)で来てる方が多いため、いろいろな考え方、倫理観を持っている方も多いです。集団を集団で支援、ケアしていくためにはこの個人価値観をいかに集団価値観にスピーディーに転換していくべきか…非常に重要なポイントと感じました。短期間ということで難しい場面の連続ですが、そのためにも先程の“柔軟性”“バランス能力”の長けたスタッフ配置が望ましいと痛感しました。
 全国津々浦々から来られた職員の方々は本当に志も高く一生懸命でした。しかし残念ながら、後から聞いた話ですが、極一部に目的意識の乏しい職員もいたことも事実です。
 ですので今後、被災者支援を考えていらっしゃる方は、どうか他人事と捉えず自分事として捉えて出向かれる事を望みます。それで限られた物、情報の中で自分が何をすべきか、どういう目的、倫理観を抱いて望むべきか…をしっかり模索しながら支援をされると良いのかと思います。
 目的がしっかりした支援は必ずや今後の自分自身の介護、福祉等業務に活かされるものと信じております…。
 少々ネガティブ思考の体験談となりましたが、私の今回の目的の一つとして“報道や広報内容と実際の現場の違いはないか…”がありましたので、敢えて赤裸々に綴ってみました。
 非常にいろいろな事を考えさせられた意義ある時間を過ごさせて頂きました。ありがとうございました。
                                                    (令和6年弥生)